こんにちは!宮崎県宮崎市のピアノ教室 ゆるやかピアノ♪ かおりミュージッククラスです。
今日は前回の続きのお話になります。
音楽の楽しさと苦しさ
中学に入学すると同時にピアノのレッスンは辞めてしまいましたが、音楽は大好きでした。
部活は合唱部、ピアノは独学で好きな曲ばかりを弾くようになりました。耳コピーなんて大それたものはできなかったけれど、テレビで流れてくるメロディーを探るのも好きでした。しかし絶対音感はないので、本当に簡単なアレンジでしたし、誰にも聴かせる事はなくこっそり弾いてました。
ピアノ歴が長いというだけで、校内合唱コンクールの伴奏をしたことはありました。
友達は、レッスンを受けて綺麗に仕上げてきますが、私は独学でボロボロ・・・
5歳から習っているなら弾けて当然でしょ?という雰囲気の中、音楽の先生にも、友達にも、親にも、誰にも相談出来なくて苦しかったです。
カセットテープを頼りに何回も聴いて練習しますが、「音が間違ってる」「リズムが違ってる」友達に指摘されます。数週間かけてやっと弾けた曲を友達が数日で「かおりちゃんの伴奏する曲も、先生に習って私、弾けるようになったから」と、友達がスラスラ弾いた時はショックでした・・・
そんな私は高校生になって再びピアノを習う日が訪れたのです。
高校2年の時に
田舎の中学から進学した高校は、市内で唯一の進学校でピアノが弾ける子はたくさんいました。ピアノが上手な子が多く、ピアノを弾けることに自信を持っていて、堂々と演奏するのです。
私は恥ずかしくてピアノを習っていたことを隠すようになりました。
高校入学して小学1年の時に同じ音楽教室に通っていて発表会で連弾した子とも再会しました。初めて人前で演奏して楽しかった想い出!懐かしくなり思い切って声をかけてみたら、彼女はとっくの昔にピアノを辞めていて発表会の事も覚えていないとのこと・・・。翌日に「お母さんに写真見せてもらったら何となく思い出したかな!」と言ってはくれたのですが。なんだか寂しい気持ちになりました。
その頃、宮崎県で高校総体が開催され、応援合唱隊として参加するために地元の合唱サークルの方と合同練習をする機会がありました。その中にピアノ講師の方が参加されていて、私の声を褒めてくださったことから、再び「音楽に対する思い」がフツフツと沸き上がってきたのでした。
「小さい頃から音楽がずっと側にあった。嬉しいときも、苦しいときも。私は音楽の仕事をしてみたい」そう思い、声を褒めてくださった先生に相談して音大の声楽科を目指す準備を始めることにしたのです。
高校2年生間近の事でした。
音大受験
受験はもちろん、ピアノ、ソルフェージュ、楽典の知識が必須でした。
ピアノを再び習い始めましたが、先生の言う事がさっぱり理解出来なかった私。「脱力」?「表現力」?今までに習ったことがないので分からないのです。
ピアノを再開するのは最初は嬉しい気持ちでした。先生の門下生は、ピアノが上手な人がいて、この先生から学べたら私も上手になるかもしれないと期待を持ちました。
しかし、あなたのレベルはバイエル以下よ!と何回も叱られ、泣きたくなった事も。
受験の課題曲はバッハのインヴェンション、自由曲はソナタから1曲。あと1年ちょっとで仕上げないといけないプレッシャー。
自分で決めた進路の事とはいえ、悩む事が多い1年でした。
そんな中に県内の声楽のコンクールに出場して、入賞するという嬉しい出来事もありました(*⌒▽⌒*)
入賞者は審査員の先生方の批評がいただけて「今は宝石の原石。まだまだ荒削りですが、磨いて輝かせてください」というコメントがあって、とても嬉しかった事を覚えています。
最初の希望は東京にある私立の音大でした。オープンスクールにも参加し、素晴らしい環境に希望も高まったのですが、学費の問題も出てきました。兄弟もいるし、親に負担はかけれないな・・・と。
先生と相談し、隣県の効率の短大音楽科は素晴らしい先生がいらっしゃっるとの事で目標を一校に絞ることに決定しました。
とにかく無我夢中の1年でした。バッハのソナタも頑張って仕上げました。劣等生の私に音楽の基礎をしっかり教えてくださった先生。とてもとても厳しかったですが、希望の短大音楽科に合格できたのは先生のおかげです。
短大音楽科で学んだ事
私の母校となった短大の音楽科は、ピアノ専攻、声楽専攻、音楽理論専攻がありました。音楽が好きな仲間たちが集まった場所でした。
声楽専攻は、声楽は個人レッスンですが、副科のピアノはグループレッスンでした。私の学んだピアノの先生はとても穏やかな男性の先生で、怒った顔を見たことがありません。そしてものすごく驚いたのが、模範演奏をしてくれること!私は模範演奏をしてもらったことがなかったのでとても感動的でした!しかも!通常の2倍速の模範演奏なんです!!時間の関係だと思うのですが(>_<)
いったいどうしてそんなに指が動くのか・・・ピアニストの演奏にただただ感心するばかりでした。
声楽のレッスンについてはまたの機会にしたいと思います♪
卒業後の人生
2年というのはあっという間に過ぎてしまいます。
自己紹介の記事でも書きましたが、卒業後は音楽の仕事に就きませんでした。秀でた才能のないのに、音楽の仕事でご飯は食べれないわと思ったからです。卒業してしばらくして始めた医療事務の仕事は20年。
人生は何が起こるか分からないですね。
中国のことわざで「塞翁が馬(さいおうがうま)」とあります。私の座右の銘です。
ざっくり言うと「人生の幸せや不幸は予測しがたい。長い人生では楽しいことも辛いことや悲しいこともあるけれど、楽しい事や嬉しいこともある。人生の幸不幸は予測しがたいもの。目の前の出来事の一喜一憂せずに毎日を過ごしていこう。」というような内容です。(捉え方は個人で多少変わってくるとは思います)
私がピアノ教室を開いたら、生徒さんとのご縁を大事にしていきたい。
ずっと音楽を楽しんでほしい。
気持ちがどんどんピアノ教室に向かっていきはじめたのです!
読んでいただきありがとうございました(*^_^*)
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